AMS-TeX(エイエムエス・テフ)は、アメリカ数学会(AMS)のために マイケル・スピヴァック が plain TeX の上に書いたマクロパッケージです。高品質な数式組版を目的とした独自フォーマットで、その数式機能はのちに LaTeX へ移植され、いま私たちが使う amsmath の源流になりました。今日では原典の AMS-TeX を直接使うことはまずありません。
AMS-TeX とは
AMS-TeX は、クヌースの plain TeX(基本的なマクロ集)の上に積み上げられた フォーマット(マクロパッケージ) です。LaTeX とは別系統で、当時はランポートの LaTeX に対応するもう一つの「TeX の使い方」でした。1980 年代前半に AMS の専属だったマイケル・スピヴァックが整備し、AMS は 1983〜1985 年 にかけて雑誌・書籍の制作にこれを採用しました。使い方は解説書『The Joy of TeX』にまとめられています。
最大の特長は 数式組版の質 でした。複数行にわたる数式の整列(\align)、可換図式(amscd 系の機能)、行列を組む \matrix、添字やネストした分数の繊細な扱いなど、当時の plain TeX では手間のかかった構成を、作者の負担を抑えて美しく組めるようにしたのです。AMS が数学出版の標準として TeX を広めるうえで、AMS-TeX は決定的な役割を果たしました。
独自フォーマットなので、処理には専用のコマンド amstex を使い、文書の書き方も LaTeX とは異なります。LaTeX の \documentclass … \begin{document} … \end{document} ではなく、\document … \enddocument で本文を囲み、表題は \title、見出しは \head といった独自の命令で記述しました。
記号や書体の面では、AMS が整備した AMSFonts が背景にあります。フラクトゥール(ひげ文字)の \frak、黒板太字(中空の太字)の \Bbb といった数学者になじみ深い書体は、ここから来ています。これらは後年そのまま LaTeX 側へ受け継がれました。
amsmath / AMS-LaTeX との関係
ここが肝心な点です。LaTeX が事実上の標準になると、AMS-TeX のすぐれた数式機能は LaTeX の世界へ 移植 されました。これが AMS-LaTeX で、具体的には amsmath・amssymb・amsthm・amscd といったパッケージ群と、AMS 製の文書クラス amsart(論文)・amsbook(書籍)・amsproc(会議録)から成ります。
つまり現代の書き手は、LaTeX で \usepackage{amsmath} と書くだけで、AMS-TeX 由来の品質をそのまま手に入れられます。align などの数式環境、定理環境(amsthm)、可換図式(amscd)はすべてこの系譜です。記号フォントも同じで、amssymb を読み込むと内部で amsfonts が呼ばれ、\mathbb(黒板太字、msbm フォント由来)や \mathfrak(フラクトゥール、eufm フォント由来)が使えます。msam・msbm は AMS の追加記号フォントです。
次の対比が分かりやすいでしょう。左は AMS-TeX 時代の整列数式、右は現代の LaTeX(amsmath)での同等物です。書き方は違っても、めざす出力は同じ「等号でそろえた多行数式」です。
% AMS-TeX (legacy: processed with the amstex format)
\align
(a+b)^2 &= a^2 + 2ab + b^2 \\
(a-b)^2 &= a^2 - 2ab + b^2
\endalign% Modern LaTeX equivalent
\usepackage{amsmath}
% ...
\begin{align}
(a+b)^2 &= a^2 + 2ab + b^2 \\
(a-b)^2 &= a^2 - 2ab + b^2
\end{align}| 構成要素 | 正体・役割 |
|---|---|
amsmath | 数式環境の中核。align・gather・cases など |
amssymb | 追加記号と書体。内部で amsfonts を読み込む |
amsthm | 定理・証明環境(proof や \newtheorem の拡張) |
amscd | 可換図式を組むための環境 |
amsart / amsbook / amsproc | AMS の文書クラス(論文・書籍・会議録) |
AMSFonts | eufm(フラクトゥール)・msam・msbm(追加記号)などのフォント群 |
AMS は今も投稿者向けにこれらのパッケージとクラス(AMS-LaTeX)を配布・推奨しています。一方、スタンドアロンの AMS-TeX フォーマットは レガシー で、CTAN に歴史的記録として残るものの、AMS 自身が「新しい文書を AMS-TeX で作ることは推奨しない」と明言しています。
まとめると、いま LaTeX で数式を書いているなら、あなたは amsmath を通じて AMS-TeX の遺産を使っているのであり、原典の AMS-TeX フォーマットを呼び出す必要はありません。TeX Live 2026 にも amstex は収録されていますが、CTAN 上の AMS-TeX は 2021 年 8 月の v2.01「最終アーカイブ版」 で更新が止まっており、主に古い原稿を処理するために残されています。一方で LaTeX 側の amsmath は LaTeX3 Project と AMS が共同で保守を続けており、活発に更新されています(v2.17z, 2025 年 7 月)。
新しい数式文書ではどう書くか
ここまでの話は歴史ではなく、今日の選択にも効きます。新しいレポート・講義ノート・論文では、amstex コマンドを起動するのではなく、LaTeX 文書として始め、必要な AMS-LaTeX パッケージを読み込みます。数式の整列は amsmath、黒板太字などの追加記号は amssymb、定理・補題・証明は amsthm と役割を分けるのが現代的な入口です。
\documentclass{article}
\usepackage{amsmath,amssymb,amsthm}
\newtheorem{theorem}{Theorem}
\begin{document}
\begin{theorem}
For real numbers $a$ and $b$,
\begin{align}
(a+b)^2 &= a^2 + 2ab + b^2.
\end{align}
\end{theorem}
\end{document}AMS 系の学会誌や書籍へ出すなら、さらに amsart や amsbook などのクラスを指定することがあります。そこでも本文の考え方は同じで、原稿は \documentclass から始め、表題・著者・要旨・定理環境を LaTeX の流儀で組み立てます。AMS-TeX から学ぶべきことは、古い命令を暗記することではなく、数式構造を意味で分けて書く態度です。
- 本文の入口は
\documentではなく\begin{document}にする。 - 見出しは
\headではなく\sectionなどで章立てに入れる。 - 定理は古い
\proclaim風に手で太字化せず、\newtheoremで番号体系を作る。 - 黒板太字は
\Bbbではなく、amssymbを読んで\mathbbを使う。
古い AMS-TeX 原稿を受け取ったら
研究室の古い講義ノートや出版社のアーカイブから、\document や \enddocument を使う AMS-TeX 原稿を受け取ることがあります。そのとき最初にやるべきことは、現代的に書き直すことではなく、元の PDF を再現できる状態を保存すること です。原稿、図版、フォント、実行ログをひとつのフォルダにまとめ、TeX Live に残っている amstex でまず処理します。出力が得られたら、その PDF を基準にして、章や節ごとに LaTeX + amsmath へ移します。
- 再現を優先する: 古い AMS-TeX 原稿は、まず
amstex oldfile.texでそのまま通るか確認する。 - 新しい本文は LaTeX で書く: 追記や改訂を始めるなら
\documentclassとamsmathに移す。 - 一括変換しない:
\alignをalign環境へ、\Bbbを\mathbbへ、と対応を見ながら小さく移す。 - 見た目を比べる: 式番号、行分割、定理番号が変わりやすいので、PDF を横に置いて章単位で確認する。