その他のエディタ

1993 年、アレクサンダー・シモニッチは気に入る TeX のフロントエンドが見つからなかったので、Windows 3.1 用に自分で書きはじめました。それが WinEdt で、1995 年にシェアウェアとして CTAN に上がり、30 年たったいまも有償のまま生きています。LaTeX を書くためのエディタは、そういう「無かったから作った」道具と、ふだん使いの汎用エディタにプラグインを足した道の二筋に分かれます。このページは、専用ページを持たないエディタ——WinEdt、WinShell、JetBrains 系、Notepad++、Kate、GNOME Text Editor、EmEditor、サクラエディタ、そして Typora のようなマークダウン系——を一望し、最後に どう選ぶか を、機能一覧ではなく 4 つの条件で判断できる形にまとめます。

エディタは組版しない——先に決めるのはディストリビューション

ここに挙げるものは一つ残らず エディタであって TeX システムではありません。実際に組版するのは別途インストールした TeX Live・MiKTeX・MacTeX で、エディタはそれを呼び出して PDF を作らせているだけです。だから「どのエディタを使うか」と「どの処理系を入れるか」は別々の問いで、しかも後者を先に片づける必要があります。この順番を間違えると、エディタの設定画面でいくら悩んでも PDF は出てきません——出てこない原因はエディタの外にあるからです。

Windows 専用フロントエンド——WinEdt と WinShell

WinEdt は Windows 専用の Unicode テキストエディタで、TeX のフロントエンドとして長く定番でした。単体のエディタとしても使えますが、真価は TeX Live や MiKTeX と密に結びつく よう作り込まれている点にあります。ツールバーのボタン一つで pdflatexplatex を走らせ、補完・スペルチェック・プロジェクト管理・正規表現置換まで揃います。引っかかるのはライセンスで、シェアウェア——試用のあと使い続けるには登録料が要ります。無料の選択肢がこれだけ揃った時代に有償なのは考えどころですが、開発は続いており、11 系が現行です。

WinShell はほぼ同じ場所を占める 無料 の Windows 用 LaTeX 統合環境です。テキストエディタ・構文強調・プロジェクト管理・スペルチェック・表ウィザード・BibTeX 連携・Unicode 対応を一通り備え、ツールバーから処理系を呼びます。ソースは公開されていないバイナリ配布のフリーソフトですが、有償の WinEdt に対する手堅い無料の代替として今も通用します。どちらも組版エンジンは含まないので、先に MiKTeX か TeX Live を入れ、エディタ側にコマンドの場所を教える、という手順は共通です。

汎用エディタにプラグインを足す——TeXiFy IDEA と NppExec

TeX 専用でない普段使いのエディタでも、構文強調ビルドの呼び出し さえ用意できれば LaTeX は十分書けます。道は二通りで、プラグインが補完・PDF プレビュー・前方/逆検索まで面倒を見てくれる「厚い」道と、エディタの外部コマンド機能から latexmk を叩くだけの「薄い」道です。薄い道は 5 分で組めますが、エラー行への移動と PDF との同期は自分で配線することになります。

厚い道の代表は JetBrains の IDE(IntelliJ IDEA など)+ TeXiFy IDEA です。構文強調、ラベル・命令・環境・ファイル名の補完、組み込みの PDF ビューア、BibTeX(.bib)対応まで揃い、IntelliJ の操作感をそのまま LaTeX に持ち込めます。ふだんプログラミングで JetBrains に住んでいる人には自然な選択で、IntelliJ IDEA には無料の Community 版があります。薄い道の代表が Notepad++ + NppExec。Notepad++ は土台の Scintilla ライブラリのおかげで TeX ファイルの構文強調は効きますが、標準では数式環境まで色分けされません(ユーザー定義言語で補えます)。ビルドは NppExec プラグインで F6 などにコマンドを割り当て、結果をコンソールに出し、エラー行を色付けする、という組み方が定番です。

歴史の記録として Atom も挙げておきます。GitHub 製のエディタで LaTeX 用パッケージもありましたが、2022 年 12 月 15 日に開発終了・アーカイブ化 されました。技術的には後継の Electron と VS Code に道を譲った形です。いま設定を探して Atom の記事に行き当たっても、そこから始めてはいけません。同じ操作感を求めるなら VS Code に移ってください。

Kate と GNOME Text Editor——Linux デスクトップの標準エディタ

KDE の Kate で LaTeX を書こうか迷っている人には、一つ知っておくと話が早くなる事実があります。Kile の編集画面の中身は、Kate と同じものです。 Kate の編集機能は KatePart(KTextEditor)というコンポーネントとして切り出されていて、KWrite も KDevelop も、そして Kile もこれを埋め込んでいます。つまり「Kate で LaTeX を書く」と「Kile を使う」は、同じ編集画面のまわりに LaTeX 用の足場(ビルド設定・テンプレート・構造ツリー・Okular 連携)があるかどうかの違いでしかありません。Kate 単体でも構文強調と外部コマンドの実行はできますが、足場を自分で組むことになります。KDE を使っているなら、素直に Kile へ行くのが早道です。

GNOME 側の事情は少し寂しい方向に動きました。長らく標準だった gedit は、その強さの大半をプラグイン群に負っていて、LaTeX 用のプラグインもその一つでした。ところが GNOME 42(2022 年 3 月)で標準の座は GNOME Text Editor に移ります。gedit を新しいデザイン指針(libadwaita)に合わせるには大がかりな書き直しが要るという判断から、後継はゼロから書かれ、当初はプラグイン機構を引き継ぎませんでした。gedit 自体は今も存在しますが、「デスクトップの標準エディタにプラグインを足して LaTeX を書く」という道は、GNOME では細くなっています。 GNOME 環境で LaTeX を書くなら、専用エディタか VS Code 系に寄せるほうが確実です。

日本語の原稿を打ち慣れたエディタで——EmEditor とサクラエディタ

日本では、国産・日本語に強いエディタを母艦にする流儀が根強くあります。EmEditor は巨大ファイルも軽快に扱う Windows 用エディタで、当初から TeX(LaTeX)用の色分け設定が用意されています(フリー版と有償の Professional 版があります)。サクラエディタ は無料で人気の国産エディタで、マクロ機能の ExecCommand などから platex を呼び、続けて DVI ビューアを開くというビルドの自動化が古くから共有されてきました。どちらも「日本語を打つ環境は変えず、ビルドだけ外へ投げる」使い方に向きます。裏返せば、補完・相互参照・文献データベースとの連携は最初から期待しない、という割り切りでもあります。 一つだけ決めておきたいのは、日本語の経路——upLaTeX から dvipdfmx へ、あるいは LuaLaTeX——を エディタの設定ではなくプロジェクト側の .latexmkrc に書いておく ことです。そうしておけば、共著者が別のエディタを開いても同じ PDF が出ます。

Typora のようなマークダウン系は LaTeX の代わりになるか

短い答えは「数式の見た目だけなら代わりになるが、組版としては代わりにならない」です。Typora のようなマークダウンエディタは $E=mc^2$ を書くとその場で数式として描いてくれますが、これを描いているのは TeX ではなく MathJax や KaTeX といったブラウザ用の数式描画器 です。行分割・図表の配置・相互参照・文献一覧といった、LaTeX が一冊ぶんの文書のために持っている仕組みは、そこには入っていません。画面で数式がきれいに見えることと、200 ページの本が組めることは別の話です。

実際に PDF を作る段になると、この系統は Pandoc を呼びます。Pandoc は Markdown を LaTeX に変換し、その LaTeX を TeX エンジンに渡して PDF を作ります。Typora の場合、素の PDF 書き出しには Pandoc が要りませんが(内部の HTML から出す経路があります)、LaTeX 経由の書き出しや .tex・docx・EPUB への変換には Pandoc を別途インストールする必要があります。しかも Typora は Markdown を直接変換するのではなく、内部の抽象構文木を Pandoc に渡す作りです。したがってこの道を選ぶと、覚えることは「LaTeX の記法」ではなく「Pandoc の Markdown 方言と、テンプレートやメタデータの書き方」になります。楽になるのではなく、覚える対象が入れ替わるだけだ、と理解しておくのが正確です。

一覧で比べる

各エディタの素性と、LaTeX とどうつながるかを並べます。「LaTeX の扱い」の列を横に読めば分かるとおり、どれも別途インストールした処理系を呼び出して PDF を作っている点は共通で、違うのは足場の厚さと、その足場を誰が組むかです。

エディタ対応 OSLaTeX の扱い
WinEdtWindowsTeX 専用フロントエンド。シェアウェア。TeX Live / MiKTeX と密に統合
WinShellWindows無料の TeX 用統合環境。構文強調・BibTeX 連携・処理系呼び出し
IntelliJ IDEA + TeXiFy IDEAWindows / macOS / Linuxプラグインで補完・PDF ビューア・BibTeX。JetBrains 常用者向け
Notepad++Windows構文強調は標準(数式環境は除く)。NppExec プラグインでビルド
KateLinux ほか編集部品は Kile と同じ KatePart。足場は自分で組む
GNOME Text EditorLinuxGNOME 42 で gedit を置き換えた標準エディタ。LaTeX 用の足場はない
EmEditorWindows日本で人気。TeX 用色分けあり。外部コマンドでビルド(無料版と有償版)
Sakura EditorWindows無料・日本で人気。マクロから platex などを呼んでビルド
TyporaWindows / macOS / Linuxマークダウン + 画面上の数式描画。LaTeX 経由の書き出しには Pandoc が必要
Atom—(2022 年 12 月にアーカイブ)歴史的存在。新規に始めるなら VS Code へ

どう選ぶか——機能一覧ではなく 4 つの条件で

汎用エディタを選ぶときの実務的な基準は、機能の多さではなく 原稿を止めない 4 点 です。保存したら毎回同じビルドコマンドが走ること。エラーが出たら該当行へ戻れること。PDF が自動で更新されること。そして設定がエディタの中だけでなく、プロジェクト側の .latexmkrc やビルドファイルに残ること。4 つ目がとくに効きます——設定がエディタの中にしかないと、共著者の環境や別のマシンで同じ PDF が出なくなり、締切前に原因を探すはめになるからです。この 4 点を満たせないなら、専用エディタに移ったほうが結局は早く書けます。

  • Windows で TeX 専用の使い勝手をすぐ欲しい: 無料の WinShell、または作り込まれた有償の WinEdt。
  • ふだんの開発環境をそのまま使いたい: JetBrains 派は TeXiFy IDEA。手軽に済ませたいなら Notepad++ に NppExec。
  • Linux デスクトップを使っている: KDE なら Kile(編集部品は Kate と同じ)。GNOME ならプラグイン頼みは避け、専用エディタか VS Code 系へ。
  • 日本語の原稿を慣れたエディタで打ちたい: EmEditor かサクラエディタに外部コマンドを仕込む。補完や相互参照は諦める前提で。
  • macOS で、迷いたくない: TeXShop が標準的な出発点です(専用ページがあります)。
  • とくに強い思い入れがない: 無料・多機能・クロスプラットフォームで開発の活発な VS Code(LaTeX Workshop)か、TeX 専用に作られた TeXstudio から始めるのが無難です。

最後に、乗り換えの判断について。参照補完・文献補完・SyncTeX の配線に費やす時間が、実際に文章を書いている時間より長くなったら、そのエディタはあなたの用途に合っていません。そのときは VS Code、TeXstudio、Emacs、Vim といった専用の道具へ移ってください。ここに挙げた選択肢は、どれも「すでに慣れている環境を捨てずに済む」ことが最大の利点であって、LaTeX を書くための機能そのもので勝っているわけではありません。慣れの価値がなくなった時点が、乗り換えどきです。